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プロフィール

【場面緘黙症】僕は『話したいけど話せない』精神障害でした

しいなま

元SEO会社のPM兼ディレクター|元場面緘黙症の現役マーケター
命の恩人である『マーケティング』を楽しく学べる場を作っています。

【SaaSサービスメディア】月間お問い合わせ数0件 → 6ヶ月で30件
【スクール運営メディア】80記事のうち、60記事が10位以内に掲載
【個人の特化ブログ】月間PV数200pv → 1年間で200,000pv

こんにちは
しいなまです。


僕は、小学生のときから23歳まで
『場面緘黙症』という精神障害に
苦しめられていました。


自分が場面緘黙症であったことを知ったのは、症状がかなり改善された後、

24歳の時。


場面緘黙症というのは、

自宅では家族と話すことができるのに、
学校や職場に行くとうまく話せなく
なってしまう状態のことです。



症状は人によって大きく差があり、

家の外であっても仲の良い友達とは
元気に話せる人や、

家の外に出てしまうと話せないだけでなく
体が動かなくなってしまい、
誰かのサポートがないと生活できない人も
います。


僕の場合、症状は軽く、家の外へ出ても
体は自由に動かすことができる上、
全く話せないわけではありませんでした。



ただ、学校ではうまく話せなかったため、
友達も作れず、常にひとりでした。


一言も話してない日は何日もあります。



話したいけど話せない。


これがどれほどつらいことなのか、
僕は約20年経験してきました。

ですが、僕は23歳のとき、

『マーケティング』というものに
出会えたことをきっかけに、

徐々に場面緘黙症を克服していくことが
できました。


今では、何の不自由なく、
初めての人でも誰でも話すことができ、
楽しく仕事ができています。



これは症状を患った人しかわからないと
思うんですけど、

普通に話せるってことだけで
ほんとにうれしいんですよ!


自由に話せることを楽しんで、
今は生きています!


そんな僕が、学生時代は
どんな生活をしていて、
何をやって場面緘黙症を克服したのかを
今回話していきます。



僕の経験が少しでも、
同じ症状で苦しんでいる人の助けに
なれたらと思っています。




発症は小学生のとき

まず、場面緘黙症がいつ発症したのか
というと、小学校への入学時。




僕は幼稚園の時に一緒だった人とは
違う地区の小学校に通うことになった。


周りはみんな知らない人ばかり。


他の人たちは、同じ幼稚園の人だから
仲良く話しているけど、僕は蚊帳の外。


「友達たくさんほしいなあ」
と思っていたけど、
自分から話しかけにいく勇気がなかった。



たまに優しい人が話しかけにきてくれた
時もあって、それは僕にとっては
うれしかったのだけど、

緊張と恥ずかしさで
話すことができなかった。




最初は

「次はうまく話せるかな」
「早く友達になりたいな」

とか胸を膨らませて、期待して、
希望を持っていた。


いつか慣れるだろうと
軽い気持ちだったと思う。




でも、いつまで経っても
うまく会話することができなかった。





数ヶ月経っても会話ができず、

1年、2年、3年経っても何も変わらず。


結局6年間ずっと
改善されることなく終わった。


友達といえる人は一人もいなかった。




いろんな人が話しかけてくれるんだけど、
基本は首を縦に振るか横に振るかしかせず、

たまに聞こえるか聞こえないかくらいの声で
短い単語を発するだけ。



常に周りの目が気になって、
自分が話しているのが恥ずかしかった。




最初のころは話しかけてくれた
クラスメイトも、

常に黙っている感じがずっと続いていたため
徐々に話しかけに来なくなった。


話しかけても答えてくれないヤツだと
思われていたと思う。


本当は僕もたくさん話したかった。


「無視してやろう」とか、
一ミリも思ってない。



けど、いざクラスメイトと話す場面になると、
なぜか言葉が発せなくなった。


頭では話さないといけないのは
わかっているんだけど、言葉が出ない。




自分の頭の中では回答を
用意しているんだけど、口に出せない。



「こう言おう」というものは
持っているんだけど、
言葉として発することができないのだ。




原因がわからなかった。


何度も何度も悩んで、
帰り道に一人で何度も泣いた。



今日も何も答えることができない、

不甲斐ない自分が悔しくて悔しくて。






当時は、自分が場面緘黙症という
精神障害であることを知らなかったため、

ただ自分ができないダメなヤツ、

劣等生だと悩んでいた。



普通に話しているみんなが
ただただうらやましかった。






僕は、家族にも本心を
一切話したことがなかった。



本当は友達と遊んでいなかったけど、
親にバレたくなくて、

「今日も〇〇君と遊んで楽しかったよ」

とか嘘をついていた。



6年間、嘘を吐き続けた。




これは場面緘黙症が治ってから
親に言われたことなんだけど、

当時は何か学校であったんじゃないか
というのは、勘づいていたらしい。



さすがは母親で、
子どもの異変には気づくらしいね。





けど、僕は学校を休むことはなかったから、

そんな大きな問題としては
捉えていなかったみたい。





もし今この文章を読んでくれている
親御さんがいたら、

子どもが何か少しでも異変があったら、
すぐに「何かあったの?」って
聞いてほしい。




僕は小学校6年間、
その後も23歳まで、

自分がずっと精神障害だと知らずに、
しゃべれないことに悩まされてきた。



障害であることを知らなくて
よかったことなんて一つもない。



僕は一人でずっとしゃべれない自分に
悩んできた。

つらさしかない。




「自分は障害だ」ということを
早くに気づいていたら、

処置・対応はすぐできるし、
周りからの目も違っていたと思う。


僕は後悔しかない。




「もっと早く誰かに相談しておけばよかった」

と今では思っているけど、
当時の僕はそんな勇気はなかった。



バレるのが恥ずかしいとか、
どうせ大したことない、
自分で解決すればいいだけとか

いろいろプライドがあって、
話し出すことができなかった。


「誰かが気にかけて声をかけてくれていれば、
何か変わっていた」



わがままだけど、まだ小学生、
子どもなんだから、誰かに頼らないと
一人では生きていけない。



一番近くにいる家族が
一言でも声をかけてほしいし、

一回で何も言ってくれないなら、
何回も聞いていいと思う。




その一声が、その後の人生を
大きく変えるから。




僕みたいに20年以上も
悩み続けて欲しくない。



だから、こんなことを言っている。





話を戻そう。

楽しいことなんて1つもない

小学校時代、僕は常にひとりだった。


遊びに誘ってくれる人もいなかった。


休み時間は一人で教室にいるか、
外を一人で歩いているか。


帰りはすぐに帰るだけ。


友達の家にも遊びに行かないから、

帰っておじいちゃんと話したり、
テレビを見たり、ゲームをしたり。



家にいる時間は、
学校に比べると断然楽しかった。



おじいちゃんは優しくて、
僕は好きだった。


物知りだったおじいちゃんから、

歴史のことだったり、
虫のこととかスポーツとかを
よく聞かせてもらっていた。



友達のいない僕にとっては、

おじいちゃんはおじいちゃんであり、
友達でもあった。



ただ、そんなおじいちゃんにも
学校で楽しくやっていると嘘をついていた。





おじいちゃんは僕が大学の時に亡くなった。

僕が場面緘黙症を克服して、
楽しく生活している姿を見せることが
できずに、先立ってしまった。



めちゃくちゃ泣いた。

今までにないくらい泣いた。




「今の楽しんでいる姿を一度でいいから
見せたかったなあ」

と何回も思うし、今でも後悔している。


ずっと本当のことを言うことが
できなかったことも後悔している。



今となってはどうすることもできない。




あと、つまらない学校とは違い、

ゲームは自分が主人公として
世界を生きることができる。


それが快感だった。




当時の僕にとっては、
ゲームは現実逃避できる手段だった。



ゲームしすぎて、
よく母親に怒られてたなあ。


ポケモンとかマリオとか、
とにかくやりまくった。




一緒にやる友達はいなかったから、
ずっと一人だったけど、楽しかった。





学校では、先生にも何度も怒られたもんだ。


授業で発表しないといけないときは
ほんとにつらかった。



特に自分の意見を言わないといけない
国語や道徳とかは毎回つらかった。


自分の意見を言うことができないから、
毎回立たされていた。


自分に注目されるのが嫌で、
注目されると固まってしまっていた。



毎回のことだから、
先生からは呆れられていたと思うし、

クラスメイトからはクスクス笑われていた。


最初は

「言った方が楽なのに、なんで言えないんだ」

と自分で後悔していたのだけど、
そんな状態が数ヶ月続くと、

「今さら急に話し出す方が恥ずかしい」

と思うようになって、
言葉を発する努力もしなくなった。




「自分の意見を言うよりも
立たされていた方がいい」

と思うようになった。



ただ、算数のように正解があって、
100%あっている自信がある問題に関しては、
ボソボソ声で答えることもあった。



それも先生に

「聞こえないから、大きな声で言って!」

と何回も怒られるのだけどね。




とにかく、もう学校では
どうしようもなかった。



特に、学校の授業で一番つらかったのが、
音楽の授業だった。



みんなが見ている中、
一人ずつ歌うテストがあって、

それがまさに地獄だった。




先生のピアノに合わせて歌うんだけど、
僕は歌おうと思っても声が出なかった。



「歌わなきゃ」と思っても歌えなかった。


周りからは笑われてるし。


だから音楽の通信簿は毎回、1か2。



音楽の発表会みたいなのもあって、
クラスごとに合唱するのだけど、

その練習も地獄。




僕は歌いたいけど歌えなかったので、
口パクでやっていた。




そんな僕を見ていたクラスのリーダー的な
存在の女子に目をつけられて、

毎回怒られて。。



「あんただけ歌ってないから、
みんなも迷惑でしょ」


「本番でうまくできなかったら、
あんたのせいだから」

とか、ひどい言われようだった。



その女子に周りの女子もみんな味方して、
僕は責められ続けた。



口パクしかできない僕が悪いんだけど、
自分ではどうすることもできなかった。




結局、本番まで口パクでしかできなかった。





ほんとに学校で楽しいことなんてなかった。



学校なんて行きたくなかったけど、

家族には知られなかったから
休むことはしなかった。



家族には心配をかけたくなかったから。


家では、僕が学校で浮いていることを
バレないように振舞っていたので、

親は僕が楽しい学校生活を送ったものだと
勘違いしていたと思う。



しかし、本当はその逆で、毎日息を殺して、
人目ばかり気にしていた学校生活だった。





授業参観では、
母親が毎回来ていたのだけど、

先生は僕が毎回発表しないことを
わかっていたからか、
指されることはなかったため、バレずにいた。





家庭訪問の時は、学校のことを
全部言われるんじゃないかと思って
毎回心配していたけど、

先生は何も言わなかった。



発表はほぼできないものの、
勉強はちゃんとやっていたので、

成績は悪くはなかったから
「勉強はきちんとできている」と

良いことだけを言われていた。





今となっては、

「先生から正直に話してもらっていたら、
何か対策できたんじゃないか」

と思うけど、当時はとにかく
バレたくなくて必死だった。



僕の場合、家族にも本心を言えなかったので、
誰も助けてくれなかった。



家庭事情に関しては、
説明すると長くなってしまうので
今回は語らないけど、僕は心許せる、
何でも話せる人がいなかった。




出会いと変化

小学校を卒業してからも、

他人の目が怖くてたまらなかったり、
なんで喋れないんだろうと悩んだり、
変人を見るような目で見られていたり。



僕がしゃべれないことによって、

相手をイライラさせてしまったことなんて
日常茶飯事。


何回怒られれば気が済むんだってくらい
キレられた。





中学、高校、大学、ほんとに
心から楽しいと思えることなどなかった。



友達もできなかったし、
中学ではいじめられていたし、

大学では一人暮らしをし始めて
自宅に引きこもることになったり、

ずっと悩み続けた。




大学卒業後は、

自動車部品メーカーの派遣エンジニア
として働くことになった。



そこはブラック職場で、軽い鬱になった。

もちろん職場でもコミュニケーションが
できないため、相談できる相手もいない。



精神的にも身体的にも崩壊寸前までいった。



自分でもやばいと思っていたけど、
しばらく行動できずにいた。



死を考えたことなんて、
数えきれないほどある。




今となっては、

「よく我慢して、今まで生きててくれた。
ありがとう」

とほめてあげたいくらい。



(かなり長くなってしまうので、
中学から新社会人までのことは
また違う記事で書いていきますね)





そんな僕に転機が訪れたのは、
就職してから1年も経たない頃。



いつも通り、布団の中で
ネットサーフィンをしていた時、

ある広告が目に入った。



WEBマーケティング講座の広告だった。




当時はWEBマーケティングという
単語自体初めて見たし、

なんのことかわからなかったけど、

『パソコン1台あれば、
どこでも仕事ができる』

というのに興味を持った。




「家の中でずっと仕事できるの最高じゃん」


「人とあまり関わらずに仕事できるんだ」

とか思ってた。



魅力的だった。




けど、怪しくもあった。





「そんな仕事、ほんとにあるのかな。
これクリックしたら、怪しいサイトに
飛ばされるんじゃないか」



今であれば全部本当のことだと
すぐわかるけど、

当時は何も知らない、知識のなかった僕は
そんなことを考えていた。




少し悩んだけど、

「まー、クリックするだけなら大丈夫だろ」

と思い、広告をクリック。



飛んだ先のページでは、
いろいろWEBマーケティングのことが
解説されていたんだけど、

やっぱり魅力的だった。


さらに、そのページでは
無料でオンラインセミナーの参加を
募集していた。


無料だし、メールアドレスだけ
登録すればいいだけだったので、

とりあえず応募だけすることに。




セミナー当日。


僕はいつも通り、パジャマのまま
布団の中でオンラインセミナーを見ることに。


休日はほぼいつもベッドの上で
1日過ごしていた。



今考えたら、ほんとヤバいと思うけど、

当時はほんとやりたいこともなく、
何もやる気が出なかったから、

ゲームしているかYouTube見てるか
スマホで漫画見てるか。


ずっとグータラな生活をしていた。



3時間以上あったセミナーだったが、
もうあっという間に終わった。


正直、その仕事はめちゃくちゃ楽しそうで、
今でもあのワクワクは忘れられない。



講師の方の説明もほんと楽しそうで、
素直に「やってみたい」と思えた。





最後に有料講座の案内があったんだけど、
僕はその時は決断できなかった。



怪しさもあったし、

「もしかすると騙されるんじゃないか」

と思っていたし、40万円という高額を
払うことができなかった。




それまで僕は自分から行動することなんて、
ほぼなかったから。



「やってみようかな」と思うことは
何度もあるんだけど、

結局やらずに終わる。



やらない理由を作り、
無理やり自分自身を納得させていた。




わからないことを始めるのが怖かったんだ。





ましてや、勉強に自分のお金を
使うことなんてしたこともない。



小さい頃から裕福ではなかったし、
好きなものを好きなだけ買うことも
なかったから、

お金に関してはかなり慎重だった。




貯金ばかりしていたなあ。





結局、その日は入塾せずに終わった。








普段の仕事の生活に戻った。


そんな中、ついに僕はブラックの仕事を
続けるのに限界がきていた。



毎日朝早く起きて出勤して、
ずっと同じ仕事を繰り返し、
残業も多くて帰ってくるのは23時とか24時、
楽しみにしていることもない、
休日もベッドの上でほぼ動かない、
希望すらない。



仕事の影響で、幻聴すら聞こえていた。


ずっと「キーーーン」っていう音が
聞こえている状態。


頭がおかしくなるくらい、
精神的に病んでいた。



「ここで変わらないとやばい」




そう思った僕は、
もう一度セミナーを受けた。



もう自分が壊れる寸前まで来ていた僕は、
勇気を振り絞り、

その当時は高額すぎる40万円を払って
勉強する決断をした。




貯金はほぼなくなった。


もう後戻りはできない。



自分の人生で一番の選択だった。





そこからは仕事を辞め、
3ヶ月間死ぬ気で頑張って勉強した。


家に閉じこもり、暇さえあれば勉強した。


朝から夜寝るまで、
常にパソコンは開いていた。



ゲームもやめた。

PS4もコンセントを抜いて、
押し入れにしまった。


テレビもコンセントから抜き、
一切見れないようにした。



誰にも干渉されず、家の中にずっと勉強。



友達がいなかったから、
ラインとかの連絡もなかったのが
当時はよかったかもしれない。



最初は全然わからなかった
マーケティングも、勉強していると
徐々にわかってきて楽しかった。



「こんな楽しい仕事あるんだ」と思って、
なんか悔しかった。



どういう感情なのか、
言葉では表せないけど、なぜか泣いていた。



こんな楽しいことがあることに対して、

これから生きていく希望が持てたのか、
これまで僕がどれだけ狭い世界に
いたのか気づかされて悔しかったのか。


いろいろな感情が混ざっていた。




毎日、同じ単純作業の繰り返し。


自分が成長していることなんて、
一ミリも感じない。


ただただロボットのように
働いていたエンジニア職。


奴隷みたいに働きまくっていた。



仕事なんておもしろくないし、

ただ給料をもらうためだけに働くような
ものだと思い込んでいた僕にとっては、

こんなおもしろい仕事があることが
ほんとにうれしかった。




講座の3ヶ月はあっという間だった。


僕は3ヶ月間、
一切遊ぶことなく学びきった。




それまでの僕の人生の中で
ダントツ頑張ったし、
明らかに成長していることを実感できた。



達成感は半端なかった。



あの頑張りは、今でも覚えているし、

それは自信を持つことにもつながったと
思っている。


はじめて自分の力だけで乗り越えたことに
よる自信が生まれたように感じた。





新たな旅立ち

講座での頑張りを認められ、
次の職場も紹介してもらい、すぐ決まった。



僕はマーケターとして働くことになった。



僕の新たな人生がここから始まった。





転職後は出社しなくてよかったため、
自宅で働くことができるようになった。


これがめちゃくちゃ最高だった。



毎朝早く起きなくていいし、
朝の満員電車にも乗らなくていいし、

何と言っても僕のテリトリー(ホーム)から
出ずに仕事ができることに。



ほとんどのコミュニケーションは
メールで行い、

たまにオンライン通話を行う。


オンライン通話なんてほぼ初めてだった。


電話とかはしたことあるけど、
家族しかしたことなかった。


友達なんていなかったし、

電話帳に入っているのは
家族とか親戚くらいの身近な人しかいない。



全くの他人と通話するなんて、
考えたこともなかった。



で、ここで自分でも新たな気づき
だったのだが、

顔を出さないで通話することはできたのだ。


それまで気づくことができなかった
事実だった。




話すことに抵抗はあって、
数秒止まったりしていたものの、

直接会って話すよりも明らかに
しゃべれてはいた。



最初はぎこちない会話だったけど、

オンライン通話を数回繰り返していくと、
徐々に普段通り話せるようになった。




そこから、顔出しでも徐々に
慣れていくことができた。





でも最初は

「しゃべれなかったどうしよう。。。」

「うまく話せなかったらクビになるかも。。」

とか、ビクビクしていたなあ。笑




仕事はめちゃくちゃクリエイティブで
おもしろかったし、
ずっとやっていたい想いはあって、
仕事は辞めたくなかったから、

その強い想いも後押ししてくれたのかも
しれない。



あと、オンライン通話ができた要因は
色々あるけど、

一番の大きな要因は『自信』を持つことが
できたことだと思っている。





それまでの人生、僕は本気で
何かに取り組んだことなどなかった。


小さい頃から、他の人がみんな
当たり前にできていることが
自分だけできていないことに、

どこか劣等感があった。



いつしか何をするにも、

「どうせ頑張ったって、自分なんて
できるはずない」

と思うようになっていた。




どれも中途半端にやり、
最後までやり遂げたことなどなかった。




そんな僕が、「これが最後だ」と思い、
死ぬ気で頑張った3ヶ月。


とても充実していたし、

何より圧倒的にできることも
増えていたのがわかった。



それが少しではあったが、
僕の自信になった。



「僕でも頑張ればできるんだ」と。




自信も知識も増えれば、
話せることも増えるし、
何を話せばいいかわかる。







そして、ある時クライアントの方と
直接会うことになった。



自信も知識もついて、
画面越しでは話せるんだけど、

直接面と向かって他人と話すことは
してなかったから、僕はまだ心配だった。




前日から、明日はどうなるか不安で、
あまり寝れなかった。





そして当日。


もう朝からドキドキして、
電車に乗ってクライアントの会社を訪れた。




自分で

「大丈夫!大丈夫!
僕は3ヶ月、死ぬ気で頑張ったんだから、
不安なことはない。

画面越しでも普通に会話できたんだから、
直接でも大丈夫!」


自己催眠のように自分に言い聞かせて、
ついにクライアントとの面会に。


クライアントの会社につき、
面会が始まった。




明らかに僕より一回りも二回りも年上の
社長とか役員クラスの人が数人いて、

最初はビビりまくっていた。




その時も心の中で「大丈夫!大丈夫!」
と唱え続けた。




ミーティングの開始。


途中、言葉に詰まってしまうこともあったり、
言葉が出てこなくて
数秒フリーズしていたんだけど、

ちゃんと会話が成立していた。


明らかにこれまでより成長していた。



「あれ、僕いけるじゃん」




普通の人からすると、

口下手なヤツだと思われるくらいの
レベルだったと思うけど、

僕にとってはめちゃくちゃうれしかった。


少し調子に乗ってしまうくらい、
浮かれていたと思う。




面会もうまくいき、
ほんとに飛び上がるくらいうれしくて、
帰りの電車はもうウキウキだった。



たぶん、その時の顔はニヤけていたと思う。


他からは気持ち悪がられていたはず。笑


あんなうれしかったことはない。




家についても興奮冷めやらず、

もう言葉では表せないくらい
うれしくてうれしくて、

前日はあまり寝れていなかったんだけど、
その日の夜も全然寝れなかった。




この日は僕にとって忘れられない、
特別な日になった。





それからは、何回か違うクライアントの方や
仕事仲間などと会うようになり、

徐々に普段通りの会話ができるように
なっていった。




今では、直接面と向かって会話するのが
全く苦ではなく、

むしろ学生時代話せなかった分、
めちゃくちゃ楽しい。


学生時代に全然話せなかった分、
今めちゃくちゃしゃべってる。笑




「自由に話せるって、
こんな楽しいことなんだ」

と、今でもたまに考えている。




ぶっちゃけ、23歳までほぼ人と
話してないから、

コミュ力とか文章力とか
人より全然劣っていたと思う。



同級生とかと比べると、
はるかにしゃべっていなかったから。


1日、一言もしゃべらない日なんて、
めちゃくちゃあったからね。



たぶん、23年間で声を出した量でいうと、
地域1位、いや県1位の少なさだと思う。



けど、マーケティングを学び始めてから、

ライティングスキルとかプレゼンスキル、
コミュニケーションスキルとかも
身についてきた。



マーケティングやってなかったらと思うと、
ほんとに終わってた。


そんなこと考えると、
ゾッとするくらい恐ろしい。





僕は、マーケティングに出会えたこと、
そして勇気を出して決断し、
頑張った僕自身に感謝している。









僕が伝えたいこと

かなり省いたけど、
僕の話はこんな感じです。


自分の意思とは関係なく、
話すことができないのって本当につらい。



たまに、

「その性格、どうにかしたほうがいいよ」

とか

「しゃべれないのはお前が弱いからだ」

とか無責任なこと言ってくる人もいたけど、

経験したことない人には
わかるはずがないですし、

テキトウなこと言わないでほしいですよね。




先生には

「そんなこともできないの?」

とか怒られたり、

クラスメイトからは

「無視するとか最低だな!」

とか言われたりしましたけど、

性格とかではどうにもならないんですよ。



こっちも本当は話したいんだよ。


話せるなら、とっくに話してるわ。


好き好んで怒られてるわけじゃないし、
好き好んで周りから嫌われるようなこと
してるわけじゃない。




それをわかってくれる人は、
同じ経験をした人しかわかりません。



なので、もし今、周りに理不尽なことを
言ってくる人がいたとしても、
気にしないでいいです。



こっちの事情も知らない人から
何言われたって、気にしなくていいですよ。


場面緘黙症の経験者は
そんな多くありません。


僕の周りにはひとりもいませんでした。




もしあなたの近くにわかってくれる人が
いるのであれば、
その人だけを大切にしてください。




お母さん、お父さん、兄弟でもいいので、

自分のことをわかってくれる、
自分の全てを受け止めてくれる存在が
いるだけで幸せじゃないでしょうか。



僕は、家族の中にも本音を話せる人が
いなかったので、

常にひとり抱え込んで生きてきました。


毎日、地獄でした。


なんで自分が生きているのか
わからなかったです。



死にたいと思ったことは何百回、何千回
あったかわかりません。




この言葉は好きではありませんが、

今生きているのが『奇跡』

と言っていいほど、いつ死んでも
おかしくなかったと思っています。



それでも僕は生き続けました。


鬱に近い状態までいきましたが、
そこから復活することができました。



今では、コミュニケーションで
困ることもないです。



23歳までしゃべる機会も少なかった分、
人と話すのがめちゃくちゃ楽しいです。


本当に、『世界が変わる』って
このことをいうんだなと実感しています。



「生きてきてよかった」


そう心から思えている自分に感謝です。






僕は、マーケティングに出会い、
ガラッと仕事環境が変わったことで、

場面緘黙症を克服できました。



今は希望が見えなかったとしても、

変われる『キッカケ』って
絶対にあると思うんです。



「自分にはどうせできない」と思わずに、

自分が自由に話せている未来を
考えてみてください。



自由にやりたいこともできて、
仲間もたくさんいるような理想を。




環境が変わる時、
なにか挑戦しようとした時、

キッカケは人それぞれだと思いますが、
きっと変われるときが来ます。




意外と近くに答えは落ちているんですよね。



僕の場合、

何も知らない無知だったせいで、
23歳まで気づきませんでした。



勉強することって大事だなと思いましたし、

周りとのつながりも大事だと
しみじみ思います。



仲の良い友達とか先輩とかいたら、
電話とかして、

「電話なら他人とも話せるんだ」

ってすぐ気づくことができただろうなって。



そうしたら、それが自信になって、
少しずつでも前に進めたように思います。





あなたが今つらいのは、
経験してきた僕はめちゃくちゃ
よくわかります。



でも諦めないでほしいんです。


今が孤独であったとしても、
これから先もずっと孤独だとは限りません。


まず、話せないことは自分にとっても
周りにとっても全く悪いことではない。


話せないことに負い目を感じたり、
周りから何か言われる時があるかもしれない。



けど、そんな自分を否定せずにいることが
めちゃくちゃ大事なことだと思います。




「今はそのままでいいんだよ」

ということを知ってほしいです。


必ず話せる日が来ます。


話せるようになったとき、
今までにないくらい感動するはずです。




僕も最初の感動は忘れられません。


この感覚は、場面緘黙症を経験した人しか
わからないです。

自分の話したい気持ちとは反対に
話せなくて苦しいこともあると思いますが、

無理して話そうとするくらいなら、
話せない自分を認めて、
堂々としていていいと思います。



そして、「今なら話せるかも」
と思ったとき話してみる。


そんな軽い感じで捉えていきましょう。


少し心が軽くなるはずです。


重く考えないで、少しずつでも前へ。




場面緘黙症となり、
他人との干渉が減ってくると、

自分が価値のない人間だと
思い悩むこともあると思います。



僕はずっと、自分が価値のない人間だと
思っていました。


ずっとずっと、何もできない小さなクズだと
思って生きていました。




ですが、それは違いました。




あなたには、場面緘黙症にかかった人しか
わからない『優しさ』があります。



他の人よりも相手の感情を理解して、
周りの人を気にかけてあげられる
『優しさ』があります。





自分で言うのもなんですが、

それが何よりも大きな価値なんじゃ
ないでしょうか。





もちろん、一歩を踏み出す勇気、
努力して学んで価値ある人間になることも
大事です。


何もわからない、
何も行動する気はない状態ですと、
変わることはできません。




僕は悩みながらも勇気を出して
一歩を踏み出し、
マーケティングと出会い、
一生懸命頑張って、
人生が大きく変わりました。




これからもマーケティングと共に
生きていくつもりです。



あなたも、ちょっとでいいんです。


ほんのちょっと変わろうとするだけで、
明らかに成長します。


無理をせず、ちょっとずつ慣れていくこと。



最初はめちゃくちゃ怖いことは
僕も痛いほどわかります。




けど、変わろうとして行動するより、
変わらない状態でいるほうが
もっとつらいんです。


そんな失敗を僕は何度も経験してきました。


あなたにはそうなってほしくないから。






すみません、長くなってしまいました。


途中、偉そうなこと言ってしまったかも
しれません。


気に触るようなことがあれば、
ご意見いただければと思います。


その意見も真摯に受け止める所存です。


僕の経験と考えなので、
「絶対にこれが良い」ということでは
ないですが、

僕の経験が少しでも、
場面緘黙症で苦しんでいる人の
希望になればと願っています。


「僕はあなたの味方です」



もし、なにかで悩んでいて、
誰にも相談できないのであれば、
僕にメールしてください。


僕なんかであれば、
いつでも相談に乗りますので。



しいなま



PS.場面緘黙症ではない方へ


もし場面緘黙症かもしれない子がいたら、
話さないことを責めないでください。


発言することを強要しないでください。


質問した後に答えが返ってこなくても、
あたたかく受け入れてあげてください。


返事は返せなくても、
迎え入れてくれるだけでうれしいです。




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