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プロフィール

【闇の幼少期】ほんの些細なきっかけで病みの人間が形成されます

しいなま

元SEO会社のPM兼ディレクター|元場面緘黙症の現役マーケター
命の恩人である『マーケティング』を楽しく学べる場を作っています。

【SaaSサービスメディア】月間お問い合わせ数0件 → 6ヶ月で30件
【スクール運営メディア】80記事のうち、60記事が10位以内に掲載
【個人の特化ブログ】月間PV数200pv → 1年間で200,000pv

僕の幼少期はかなり特殊だ。

僕はあることをきっかけに、
天国から地獄へ自分から踏み込んでしまった。


そこが地獄への入口とは知らず、
そこが天国だと思い込んで。


地獄の奥深くまで進んでしまった結果、

戻ることが困難なところまで
行ってしまった。


そこからの毎日は、
ほんとに生き地獄だった。




こんにちは
しいなまです。

今回は、僕の幼少期について、

主に幼稚園から小学校時代のことを
詳しくお話ししていこうかなと思います。


冒頭にもあるように、僕は小さい頃に
壮絶な経験をしたというか、
かなり特殊な子どもでした。


周りには、
僕みたいな人間いなかったですし、
今でも会ったことないです。


今となっては、
好きな人たちと一緒に仕事をやり、
それなりにお金も稼ぐことができ、

プライベートも充実した時間を
過ごしていますが、

過去はギャップがありすぎて
自分でも不思議な感覚があります。



なぜ僕がどん底から復活をすることが
できたのか、

その辺も少し触れれたらと思っています。



そして今回、なぜ昔の話をしようと
思ったのかというと、

もし僕と同じような経験をしている人が
いるのであれば、

少しでもその人の希望になれればと
思ったからです。



この後に詳しく話していきますが、

僕はずっと孤独で精神的にも身体的にも
日々削れていくような、
地獄のような毎日を過ごしてきました。


心から楽しめた思い出はほぼありません。


もう僕のような人間は正直、
生まれてほしくない。



そう思ったのが、今回の記事を書こうと
思ったきっかけです。


あと、今まで何不自由なく生きてきた方にも
ぜひ聞いてもらいたいです。


世の中にはこんな人間もいるんだと
わかってもらえたら、

もし昔の僕のような人に会っても
お互いがお互いを理解しあえるように
なるはずだと思っています。



そんな理想の世界を願っても
いいじゃないですか。


何もしないでいるよりは全然マシです。



1万人とか100万人に届かなくても、
たった1人でも響いてくれればいいです。


1人でも救われてくれれば、
僕がすべてをさらけ出した意味があります。





ここから、過去に遡ります。


敬語じゃないので、そこはご了承ください。



僕の家庭の問題

まず、僕のバックボーンを紹介すると、

生まれは地方のど田舎。


周りは田んぼや畑ばかりで、
ほんとに何もない場所。


家族は両親とじいちゃんばあちゃん、
弟がいる。


幼稚園の頃は、
元気で明るい子どもだった。


家の中でも走り回ったり、騒いだりして、
とにかくうるさかった。


ケガとかもしょっちゅうしてたし、

カミソリで遊んでて
大量出血になったこともある。


その時はたまたまおじいちゃんが見ていて、
すぐ救急車呼んでくれて、助かったけど。


危なかったらしい。


その時のことは今でも鮮明に覚えている。



幼稚園でも友達といたずらしたり、
ケンカしたりして、
問題もよく起こしていた。



先生にも迷惑かけていたりしたけど、
めちゃくちゃおもしろかったし、

幼稚園に行くのを毎日楽しみに
していた思い出がある。




ほんと毎日、
自由に好きなことをやっていた。


そのくらい、この頃の僕は
活発で元気な子だった。





ただ、僕の家では1つ問題があった。






お金だ。



両親は普通の会社員だったんだけど、
一般的な給料より低かったと思う。


だから、裕福な暮らしはできていなかった。




特に母親がお金に厳しかった。


毎日チラシを見て、割引されたものを
狙ってスーパーへ買い物に行く。



家の中では、電気のつけっぱなしや
テレビのつけっぱなしを
めちゃくちゃ怒られた記憶がある。



たまに父親が買ってくるものにも
よくキレていた。


ちょっとしたお菓子やカップ麺といった、
そんな高いものじゃないのに、
ぐちぐち言っていた。


そんな様子を毎日見ていたこともあり、
当時はお金の価値は自分の中で
相当高くなっていた。





小さい頃は
母親と買い物に一緒に行った時、
よくおねだりをしていた。


「あのお菓子が食べたい」


「あのソフトクリーム屋さんに行きたい」


「あのおもちゃがほしい」


「あのゲームがやりたい」


食べたいもの、行きたい場所、ほしいもの、
やりたいことがたくさんあって、

たくさんお願いしていた。




ただ、母親に僕のお願いを
叶えてもらったことはほとんどない。



感覚的には100回に1回あるかないかくらい。


ほぼ不可能だった。


それでも、小さかった僕は
自分の欲求を抑えられず、

叫んだり泣いたり座り込んだりして、
どうにかしてもらおうと頑張っていた。



「今日こそは買ってもらえるかも」

といった期待をしながら。


毎日毎日続けていた。




地獄への入口

そんな日々が続いていったある日、
僕の中で大きな事件が起こる。


小学校に上がる前くらいのこと。


この日は今でもはっきり覚えているほど、
僕の何かが変わった出来事があった。



ある休日、僕は母親と弟と一緒に
あるデパートに買い物に行った。


そのデパートの中には、
おもちゃ屋さんがあった。


気になった僕と弟は、
母親が食品コーナーで買い物をしている間、
おもちゃ屋さんで待っていることにした。



僕はその時、

ずっと欲しかったおもちゃ
(ウルトラマンなんとかのフィギュア)が
あったので、それを探していた。



けど、そのおもちゃ屋さんには
目当てのものは置いていなかった。


母親が買い物を終え、
おもちゃ屋さんに来ると、

弟はおもちゃを買ってもらおうと
お願いした。



だが、母親は即答で

「ダメ!」



いつもだったら、
僕も「このおもちゃがほしい!」と
言っていたのだが、

その日は目当てのものがなかったから、
また違う日に買ってもらおうと思って
何も言わなかった。


珍しく思った母親は、僕に

「今日は何も言ってこないね」

と言ってきた。


「何も欲しいものないもん」

と返すと、母親は弟に向かって

「あんたもお兄ちゃんを見習いなさい!
何も言わないでえらいでしょ!」


そう言った。


その時、僕は
なんとも言えない感情になった。




まず、ほめられたことがうれしかった。


そして、心では

「今は我慢して、あとで目当ての
おもちゃを買ってもらおう」

と企んでいたので、罪悪感もあった。



今となって考えると、
僕は小さい頃から母親が好きだった。


よく怒られたり、怖かったりした時も
あったけど、

なんだかんだ言って母親のことは
ずっと好きだった。


そんな母親にほめられることが
ほとんどなかった僕にとって、

母親に認められることは
めちゃくちゃうれしいことだった。



僕は母親にほめられたかったんだ。


それと同時に、
僕の中でこんな考えになった。



「何も言わなければ、いい子になれるのか?」





今と違い、純粋だった子どもの僕は、
母親の言葉を単純にそう読み取った。



その日から、
僕の生活は一変することになる。



それから数日後、
また母親と買い物に行く機会があった。


僕は、前と同じように

「あれが欲しい、これが欲しい」

とわがままを言わないようにしてみた。



前回のことが正しいことだったのか
確認してみたくなったのだ。


すると、


「今日もわがまま言わないでえらいね」


ほめられた。


いつもは怒っている母親がやさしかった。


そこで、僕の考えはほぼ確信に変わった。



「お母さんは僕がなにもしゃべらない方が
うれしいんだ」



そこから僕は、

自分のほんとうの想いをしゃべるのは
悪いことだと思うようになった。



自分の感情を外に出すことは『悪』だと。




今考えれば、そんなことないことは
当然わかるけど、
当時の僕はそう考えてしまった。




僕は自分の感情を殺した。


ほしいおもちゃ、ゲーム、食べたいもの、
やりたいこと、行きたいところ、

たくさんの欲求をすべて
表に出すことをやめた。


ほんとうの気持ちは、
自分の中だけに封じ込めて。


これが、地獄への入口だった。





感情を出せない小学生

小学校に上がる頃には、
僕は自分の本音を話さなくなっていた。


保育園にいた頃とは、
まったくの別人だったと思う。


保育園が一緒だった友達からすると、

考えられないくらいの
変わりようだったと思う。




もちろん、家にいるときは普通に
家族とも会話はするし、楽しんではいた。



ただ、本音を言うことはなかった。


たくさん欲しいものはあった。


当時流行っていたカードゲームや
テレビゲーム、マンガ、

小さいものだとお菓子やアイスなど、
数えきれないほど欲しいものはあった。



ただ、自分から「欲しい」と言えなかった。



いや、意図的に言わなかった。



いっさい自分からは、

欲しいもの、行きたいところ、
やりたいことを言わなくなった。


ずっと自分の中に隠すようになった。


なぜなら、母親にほめてほしかったから。


迷惑をかけたくなかったから。


嫌われたくなかったから。


自分がなにか言って、
「悪い子」だと思われたくなかったから。





小学校にいても、
僕は自分の感情を出さなかった。


「自分が思っていることをしゃべるのは、
悪いことなんだ」

と思い込んでいたから。




僕はクラスの無口キャラで浸透した。


自分から話しかけることなんて
できなかった。


話しかけられても、うなずくだけか、
聞こえるか聞こえないかのボリュームで
「うん」と言うだけ。


ちょっと会話できても、
長くは続いたことはない。



「これ言ったら嫌われるかもしれない。
なにをいえば正解なんだ」

と考えて、結局なんも言葉が出ずに
会話が終わる。




僕がすべての会話を終わらせる嫌なヤツだ。


クラスメイトには優しい人がたくさんいた。


最初、クラスに馴染めていなかった僕に
話しかけてくれた。


その親切な行為も、
僕は受け止められなかった。



自分の考えをまとめるのに
時間がかかってしまい、

何を答えばいいかわからず、
質問されてもずっと黙ってしまう。



相手もそんな長時間待てないので、
無視されたと思って、どっか行ってしまう。



こっちの思いとしては
ほんとは答えたいんだけど、

最適な答えを導き出すのに
人より時間がかかってしまっていた。



いつも嫌われないように、
簡単な質問にも深く
考え込んでしまっていた。


「怒られないように、
ちゃんとした答えよう」

と思って考えてしまい、何も答えられず、
結果的に相手を怒らせてしまう。



本末転倒とはこのことだ。




徐々に、クラスの中で

「あいつはしゃべらないヤツ」

「質問しても無視する最低なヤツ」


というレッテルを貼られる。




最初は話しかけてくれた優しい人も、
しゃべりかけてくれなくなる。



話しかけても答えてくれないから、
当たり前だ。



僕はクラスで孤立した。


友達なんてできるはずない。


ずっと一人でいた。


一言もしゃべらなかった日なんて、
数えきれないほどある。


授業でたまにしゃべることもあったけど、
話すのが珍しいと思われていて、
周りはざわざわし出す。







授業で指されて、教科書を読んだり、
意見を言ったりするのも
めちゃくちゃイヤだった。



算数とか、正解があって、
確実に合ってると思っている質問には
答えられた。


ボソボソ言ってて、
ほぼ聞こえないような声だったけど。



ただ、国語や道徳みたいに、
正解がない、自分の意見を言わないと
いけない質問が怖かった。


自分の思ったことをさらけ出すことが
恐かった。




自分の本音を言って、
周りにどう思われているのか気にして、

「これ言ったら怒られるんじゃないか」

「これ言ったら笑われるんじゃないか」

と、ずっと頭で考えていた。




ほんとに逃げたしたいくらいイヤで、

「当たんないでくれ!当たんないでくれ!」

と毎回祈っていた。



指名されても、なにも言わずに
黙っていることなんて
しょっちゅうあった。




厳しい先生だと、


「そのままずっと立ってろ!」

と言われて、
授業中一人だけ立たされることもあった。



立ってるのも恥ずかしかったけど、

自分の意見を言うことの方が
恥ずかしかった。




「自分の思っていることなんて
間違っている。

言ってしまったら、
周りに嫌われるかもしれない」



そう思って、自分を閉ざした。





何も言えないストレスで、
僕は小学生の時から白髪が生えていた。



思っていることはたくさんあるけど、
すべて自分の中だけに抑え込んでいたから
発散ができていなかった。



ほんとは

「本音を言って話したい」

「友達とたくさん遊びたい」

「仲良くなりたい」


と思っているけど、伝えることができない。




そんな状態が癖になったのか無意識なのか、
自分の性格として染み付いていた。


少し性格がひねくれていた。




結局、僕は小学校の6年間、
ずっとこの状態が続いてしまった。



小学校を卒業した後も、
中学校、高校、大学、新卒まで
そんな状態が続き、23歳になった。




長かった。




ほんと長かった。


楽園への誘い

そんな僕に、23歳で転機が訪れる。

僕は新卒で派遣エンジニアとして、
自動車部品メーカーで働いていたんだけど、

つらすぎて軽い鬱状態になっていた。


仕事は毎日同じような作業の繰り返しで、
誰でもできるような末端の仕事。


スピーカーに不具合がないかどうかを
チェックしていたんだけど、

そのチェック方法がただただ電源の
オンオフを繰り返して、
変な音が出ないかどうかを聞き分けるもの。


正しい音と不具合の音の変化が
めちゃくちゃわかりづらくて、
ちゃんと聴いてないとわからない。



しかも、不具合が起こる確率が
1万回に1回とか、10万回に1回とかだから、

1回聞き逃すと大変なことになる。


僕も眠くなってしまったことがあって、
案の定聞き逃し、また1万回やり直し。


上司にもめちゃくちゃ怒られた。



何よりつらかったのが、『音』だ。



ずっとスピーカーから聞こえてくる
音っていうのが、

マイクがハウリングした時の音みたいな
「キーーーン」という音なんだけど、
それがずっと流れている。



1日中、8時間以上その音を聞くのだ。


それが1週間とかずっとやらないといけない。


残業もたくさんあって、
終電で帰ることもあった。


こんなの、おかしくなるのわかるでしょ。


僕もとうとうおかしくなって、

仕事以外の家とかにいても、
ずっと頭の中で「キーーーン」という音が
流れ続けていた。


幻聴がずっと聴こえてくる状態に
なっていた。



あの時はほんとやばかった。


精神的にも身体的にもボロボロで、
休息といえる時間なんてなかった。


おもしろさなんて一ミリもない、
なんの生産性もない仕事を
ずっと続けていくことに、

僕は絶望して、軽い鬱になった。




何をするにもやる気がなかった。


仕事に楽しさも見出せず、
職場で気軽に話せる同期や上司もいない、
休日遊ぶ友達もいない、
やりたいこともない、
楽しみにしていることもない。




生きているのがイヤになった。


なんでこんな人間が生きているのか。


自分が生きている価値がわからなかった。


ぶっちゃけ、
死を考えたことも何回もある。



そのくらい、疲弊しきっていた。








そんな僕を変えたのは、ある1つの広告。


『WEBマーケティング講座』の広告だった。



僕は休日、いつも通りベッドの上で
なんの目的もなくスマホを見ていた時に
表示された。



『WEBマーケティング』という言葉自体、
初めて知ったし、
興味があったわけじゃない。



ただ、その時は広告が目立っていた
というのもあるけど、
僕はなんとなく押してしまった。



そして、飛んだ先のページには

「パソコン1台あれば、どこでも仕事できる」

みたいな文章が書いてあった。



そんなに勉強もしてこなかった、
他の職業なんて全く知らなかった
当時の僕からすると、


「そんな仕事あるのか」

とめちゃくちゃ疑っていた。




ただ、WEBマーケティングに
少し興味を持ってしまった。



自分の中で不安はあったものの、
無料ということでオンラインのセミナーに
申し込んだ。




セミナーでは、WEBマーケティングという
ものについて、仕事内容や魅力など
たくさん説明してくれた。



僕は初めて「やってみたい」


心からそう思った。




そこから、
講座費用40万ということもあり、
1ヶ月くらい悩んだけど、


「今の仕事続けて死ぬくらいなら、
講座に入って騙された方がマシだ。

騙されてお金全部なくなったとしても
死にはしないし、ダメな自分も
変われる可能性はある」


そう割り切って、初めて自分から行動して、
学ぶことにお金を使った。


講座の3ヶ月間は、死ぬ気で学んだ。


「これで今の自分自身、
これからの人生変えてやろう」

と思って、


とにかく学んで学んで学びまくった。





暇な時間なんて一切ない。


明らかに受験勉強より頑張った。



3ヶ月過ぎた頃には、
マーケティングの知識は
めちゃくちゃ身についたし、

マーケティングの奥深さ、
おもしろさに気づいた。



自分が明らかに成長しているのも
実感できてうれしかった。




何か1つに没頭して頑張ることなんて
今までなかったし、
達成感が半端なかった。


なんか嘘みたいに思われるかも
しれないけど


「生きててよかった」


そう心から思えた。


はじめて自信を持てたような気がした。





それからはマーケターとして、
僕は自宅にいながら
パソコン1台だけで仕事するようになる。


苦手だったコミュニケーションも、
オンライン通話から徐々に慣れていって、
顔出しのオンライン、
そして対面での会話。


ハードルを少しずつ上げていくことで、

徐々に会話することに
慣れていくことができた。



いろいろな人と関わるなかで、
言葉が出なくなることはなくなった。



そこには、自分が好きなことに
取り組めている楽しさと、

学びまくって身につけた知識量、

自分ならなんでもできるという自信が
あったからだと思う。





今ではしゃべるのが大好きだ。


初めての人と話すのも、
なんの抵抗もなく楽しむことができる。


今までしゃべれなかった分、
その反動でめちゃくちゃ話してる。笑



普通に思うかもしれないけど、

昔の僕からすると、自由に自分の考えを
話すなんてあり得ないことだ。



自由に話せるって最高だよ。




23年間知らなかった真実

で、僕はマーケターになってから
日々学び続けているんだけど、

ある日、僕はとある事実を知った。




『場面緘黙症』


ご存じだろうか?



精神障害の1つで、家の中では
普通に会話できるんだけど、

学校などのある特定の場所に行くと
話せなくなってしまうというものだ。



完全に僕の体験・経験してきたことと
一致していた。


そこで初めて、

「僕は場面緘黙症だったんだ」


ということを知った。


場面緘黙症の症状は人それぞれ違って、

重い人だと、学校に行くと
言葉を発することができず、
体も全く動かなくなってしまう人もいる。



それに比べると、僕は体を動かすことは
できたから、軽いほうだったと思う。



けど、場面緘黙症の人に
当てはまる要素が多かった。





僕は23年間、自分が障害を持っている
なんて考えたこともなかった。



自分の性格が歪んでいるからとか、
自分に自信がないからだとか、

答えのない問いをずっと考えて
悩み続けてきた。



家族にも相談できずに、
ずっと一人で抱え込んで生きてきた。




結果、23年間つらい思いをし続けてきた。





そもそも、なんで僕は
障害を発症したんだろう。


考えてみた。




まず理解しておいてほしいのは、僕は
始めからしゃべれなかったわけではない。



本音を言うことが悪いことだと思って、
最初は自らの意志で話さなかった。


だから小学生の時、周りからは話すのが
珍しい存在として見られていた。


僕が話すと、周りからクスクス笑われて
バカにされる。


それがイヤで、さらに話さなくなる。



「話さないことが恥ずかしい」

のではなく

「話すのが恥ずかしい」。



最初はみんなと友達になりたくて、


「しゃべらないといけない」

と思っていたけど、

「僕がしゃべるといけない」

と思うようになっていった。


そこから徐々に、

いざ話そうと思った場面になっても
話せなくなっていた。


言いたいことも言えなくなってしまった。


なぜかわからないけど、言葉が出ない。


自分ではしゃべりたくても、
なんでかしゃべれない。




これが、場面緘黙症の症状だと思う。



最後に伝えたいこと

僕の場合、
入口はあくまで自分自身だった。


心を閉ざして意図的に話さなかったことで
場面緘黙症を引き起こすことに
なってしまった。


元気な子どものように、

自由にわがままを言って、
やりたいことをやる。


そうしていれば、
発症なんてしなかったはずだ。





やっぱり子どものころは、
何も考えずに自由に楽しむことが
大事なのかなって、僕は思う。



僕みたいに、自分の本音を言えない人も
いるんじゃないかな。


ほんとは話したいけど、
なにかしらの理由があって話せない。


「変なこと言って笑われるかもしれない」


「ダメなこと言って嫌われたくない」


「怒られるのがイヤだ」



めちゃくちゃわかる。


僕も周りの目ばかり気にして、
なにも言えなかった。



ただ、なにも言えないのが一番つらい。


自分の中にすべて溜め込むのが、
一番やっちゃいけない。


絶対に自分を壊すことになる。


僕のように、障害を発症してしまう
可能性もある。


そうなると、今後の人生を
棒に振ってしまうことだってある。



僕のようになってほしくない。



だから、まず一人でもいいから、
自分のすべてをさらけ出せる人を
作ってほしい。


一番身近な家族でもいい。


お母さん、お父さん、おじいちゃん、
おばあちゃん、誰でもいいから
全部さらけ出してほしい。




難しいのはわかるけど、

行動しないと僕のように長い人生
ずっと苦しみ続けることになる。

僕が小学生の時だったら、

「家族に話すなんて絶対にムリ!」

っていうと思う。


けど、今の時代は
僕が経験してきた時とは違う。




ネットが使える。


当時の僕は、リアルで会う人としか
コミュニケーションを取ることしか
できなかったから、

ハードルがめちゃくちゃ高かった。

けど、今はネットさえあれば
世界中の人たちとつながることができる。


リアルよりは気軽にコミュニケーションを
取ることができる。


誰かに話せばだいぶ楽になるし、
解決策もいろいろわかってくるはずだから。

ずっと悩んで、何もできないと
一生変われない。



僕も家族にも周りの人にも
話すことができず、

23歳まで来てしまった。



今だから言えるけど、

相談していなかったことは
めちゃくちゃ後悔している。


早くに相談していれば、

障害のことを知れて、
早くから対策できたかも知れないし、
周りの対応も変わっていたと思う。




ただ僕は、『WEBマーケティング』という
未知の世界に勇気を出して一歩を踏み出し、
努力して学び続けた結果、

今の自由に話せる生活が
できるようになった。



これができたのも、
決断・行動したからだ。



だから、ちょっとでいいから、
勇気を出して、
何かを始めてみてほしい。




つらいのは最初の一瞬だけ。


何もしないで、
ずっとつらい思いをしないためにも。






長くなってしまいましたが、
これで締めさせていただきます。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。


場面緘黙症を克服した
しいなま




PS.僕の想い

「お前の経験したことなんて、
大したことないんだよ!
俺の方がもっとつらい思いしてんだ!
偉そうにすんな!」


そういった意見もあると思います。


僕も、他の人に比べると、
そんなにつらくなかったのかも知れません。


よくニュースにも取り上げられていますが、
親から虐待されている子どもは
たくさんいます。


僕は親から手は出されていなかったので、
その子たちよりも十分幸せに
生きて来れたと思います。


世界の発展途上国に比べたら、
食べ物も十分あったし、
着る服もあったし、
スマホもあったし、
住む場所も当然ありました。


そう考えると、
僕は十分幸せだったのかもしれません。


ですが、当時の僕にとっては

本音で話せる人がいなかったことが、
しゃべりたいのにしゃべれないことが、
自由に自分の体が動いてくれないことが、

死にたくなるくらいつらかったんです。


今の僕の力では、
日本中の親から虐待されている子どもたちを
救うことはできません。


世界中の飢餓で苦しむ人たちを
救える力も持っていません。




ですが、僕が経験してきた
場面緘黙症で苦しんでいる人たち、
うまく話せずに学校に馴染めない人たちの
力には、微力ながらあると思っています。



経験した人しかわからないつらさ、
乗り越え方、解決までの道のりは、

僕のような経験者しか
本当に理解することはできないです。



だから、そんな人に届いたらいいなと思い、
今回の記事を書きました。


たとえ99.9%の人に批判されようとも、
たった1人でも僕の力で救えるのであれば、
僕は記事を書き続けます。

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